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第二十一話 さよならは言わないで

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藤崎悠貴

     汝、光のなかを進め

     第二十一話 さよならは言わないで


     0

 夢は叶えるより見るほうがいい

 叶ってしまうと 終わってしまうから

 でも夢のあとには まだたくさんの夢が待っていて

 輝き 揺れて ぼくたちを待っている


     1

 まるで黒い海のようだった。

 傾斜のない客席に揃った八万人のひとたち。

 ステージの上から見下ろせばその全体が黒い海のようで、揺れ、動き、腕を振り上げ、声を張り上げ、波打ち、弾けている。

 北村音羽は奈落からステージへと飛び出した瞬間、その圧倒的な光景と歓声に我を忘れる。

 イヤーモニターをつけていてもわかる、肌で感じられる歓声。地鳴りのように低い位置から這い上がってきて、身体の芯までぞくぞくと震えた。

 これが八万人の客、そしてステージなのだ。

 一曲目のイントロはすでに終わろうとしていた。音羽はそのぎりぎりで我に返り、マイクを握り直す。さすがに一曲目の出だしからミスをするわけにはいかない。

 一曲目は、九人全員で唄う「白のアトラス」。グループ初期の楽曲だが、いわゆるライブでの鉄板曲で、出し惜しみなく最初から会場を盛り上げていく。

 音羽は唄いながらステージを下手方向へ移動した。メンバー間の距離が遠くなり、全員がステージの端から端までに広がる。演出担当の古儀桜子と殿山芽花曰く、いちばん最初の、お客さまへのご挨拶、という意味があるらしい。音羽はその指示どおり、しっかりとステージの上から観客席を見た。

 高い塔の上からいくつもの照明がステージを照らしている。しかしその向こうにもまだ客席が続いていて、いちばん後ろはステージ上からでさえほとんど見えないくらいだった。

 最前列に視線を下ろせば、必死にステージを見上げているファンの顔が見える。それで音羽は、これは八万人という数字ではない、ひとりひとりの人間が集まった結果なのだと理解し、なるべく顔が見えるファンとは視線を合わせていく。

 ファンはみんな、嬉しそうだった。

 この瞬間、この場にいられることが本当に幸せだというように、満面の笑顔でステージを見上げていた──不意に胸の奥がうずき、涙が浮かんでくる。

 嬉しいのか、悲しいのか、悔しいのか、楽しいのか、自分でもわからない。ただ感情が高ぶり、じわりと涙が浮かび上がってくる。音羽は慌ててその涙を拭い、パフォーマンスを続けた。

 これだけ広い野外でのパフォーマンスは、snowdropsにとってもはじめてだった。

 声の抜け方や客席の見え方がいつもとはぜんぜんちがう。これがホールなら照明を落とせば客席は暗くなるが、いまは太陽が天然の照明としてすべてを明るく照らしている。さらに声の反響もなく、自分たちの歌声も歓声も、すべて空へ抜けていく。心地よいような、どこか不安なような、そんな空間。

 九人がステージの端から端まで広がると、隣の立ち位置のメンバーさえよく見えなかった。照明が当たっているところに人影が見える、というくらいだ。目配せもできないし、表情もわからない──それでも九人の息はぴったり合っていて、離れた場所にいてもほかのメンバーがしっかりやっていることは当然のこととして理解できていた。

 一曲目「白のアトラス」は大サビがあり、そこでは九人がぴたりと揃った振り付けを披露する。その様子がモニタに映し出され、直接は九人が見えない位置にいる客もモニタに向かって腕を振り上げていた。

 「白のアトラス」が終わる。間髪入れず、二曲目。次も九人全員曲、「青空」。二年前の夏に出したシングルで、snowdropsとしてはじめて週間セールスで一位を取った曲だった。

 ピアノのイントロ。大歓声が上がる。一気にギターやベースが入ってきて、九人はイントロのあいだにまた立ち位置を移動する。今度は先ほどと反対側へ。下手にいたメンバーは上手へ、上手にいたメンバーは下手へと移動し、客席からなるべく多くのメンバーが見えるようにしつつ、歌に入る。

 音羽のパートはサビ前のBメロだった。Aメロの明るい雰囲気から一転、切なく、苦しくなるようなメロディ。そこからサビへ向かって階段を駆け上がるように盛り上がっていく。

 客席と空が同時に見えるのはふしぎだ、と思いながら音羽は自分のパートを唄っていた。空はまだ明るいが、公演が終わる頃にはまっ暗になっている──逆に言えば、たったそれだけの時間なのだ、ライブをしているのは。

 Bメロの前半は音羽のソロパートで、後半になるにつれてほかのメンバーが加わり、サビへ入っていく。

 客席の盛り上がりは、いままで経験してきたどのライブともちがっていた。

 いやおそらく、客の反応自体はそれほど変わらないのだ。ただこれだけの大きい会場だから、それが飽和してひとつに重なり、なにか巨大な音圧としてしか感じられない。

 「青空」のサビ。龍也がだれでも唄えるようにとあえて比較的ゆっくりしたリズムにしていて、音程も、女性でも男性でも気持ちよく声を張り上げられるようなキーになっている。だからなのか、こちらから言ったことはないのに、このサビでは客席全体で合唱するのがライブのお決まりになっていた。

 今日は、八万人の大合唱だった。

 音の伝わり方のせいで奥にいくにつれてすこしずれていくのは仕方ないが、それでも文字どおり空まで届きそうな八万人の声だった。snowdropsの九人も負けないように声を張り上げ、精いっぱい唄う。

 最初のサビが終わると短い間奏。その終わりはBメロで、今度は光姫のソロパートになっている。

 光姫の声は張りがあってよく通る。ピッチのうまい下手というのではなく、耳障りのいい、歌手向きの声質だった。

 同じメロディでも、音羽が唄うのとはすこしちがう印象。光姫の声で聞くとそのメロディはすこし強さを増す。そこから一気に九人の声が重なって、最後のサビへ。

 二曲目もミスなく終わった。また休む暇はなく、音が鳴り止むかどうかというタイミングで三曲目のイントロ。今度は純麗のソロ曲、「フレームの少女」。純麗以外の八人は、ステージのあちこちにある出入り口から一度奥へ戻った。

 かといって、それで一旦休憩ができるかといえばそんなことはない。

 ステージの裏では、すでにスタッフが待ち構えていた。すぐステージ中央まで戻り、衣装を変えなければならない。ステージ裏をばたばたと走り回っていては間に合わないし体力も使うから、ステージ裏にはレールとトロッコが用意されていて、メンバーはすぐそれに乗り込みスタッフにがらがらと押されながらステージ中央へと戻る。

 おそらくいま純麗がパフォーマンスしているであろうステージ中央部の真下にはメイクと着替えのためのスペースが用意されていた。ステージから下りた八人はそこで合流し、それぞれ次の出番に向けて衣装を変え、髪やメイクを直し、出番表をチェックする。

 最初の二曲は、出番表でいうところの「オープニングセクション」。次の純麗のソロからはじまる四曲は「ソロセクション1」で、音羽のソロ曲はそこではなくライブの後半にある「ソロセクション2」に入っていたから、次の出番はまだすこし先だった。

「すごいお客さんだったね!」未歩那が興奮気味に言った。「あんなにすごいひと、見たことないよ──ほんと、見渡すかぎりひとひとひとって感じで」

「やっぱり昨日のリハとはぜんぜんちがうよね──お客さんが入ると、会場がなんかもっと広く見えたもん」

「わーわー、おとは、みほなー! エマの髪飾り知らない?」

「髪飾り? 次の曲でつけるやつ?」

「そう、ないの!」

「ないってそんなわけ──もう出番次だよ、エマ。早く探さないと!」

「い、伊崎さーん!」

「どうした──なんだエマ、そんな顔して?」

「髪飾りがどっかいったー!」

「は、はあ? 出番次だろ? ちょっと待て――だれか、手が空いてるやつは探してやってくれ。おれは予備がないか聞いてくる!」

 ばたばたとステージ裏をスタッフが行き交う。あわわわ、とエマもあたりをくるくるまわり、はっとなにか気づいたように衣装の胸元に手を入れた。

「あ、あった!」

「なんでそんなとこに……」

「落としたらたいへんだと思って、谷間に入れといたの! わー、マネージャー、あったよー!」

 エマはぱたぱたと走っていく。まったく、と未歩那はため息。音羽は苦笑いしつつ、胸がでかいとそういう使い方もできるのだろうかとつい真剣に考えた。

 そうしているあいだも純麗のソロ曲は進んでいく。「フレームの少女」はどちらかといえばゆったりした曲で、純麗自身はもっとゴリゴリのロックな曲がいいと言っていたのだが、なんだかんだといって大和撫子の雰囲気がある純麗にはよく似合った曲だった。

 それが終わると、すぐエマの曲だ。それに備え、ちゃんとひまわりの髪飾りをつけたエマがトロッコに乗って運ばれていく。エマはステージ下手の端から登場し、ゆっくり歩きながらステージ上手へと移動してそこから下がってくる予定になっている。そのあいだにステージ中央では次の準備をしている、というわけだ。

 純麗の曲が終わる。数秒の間隔も開けず、明るいギターのイントロ。歓声がステージ裏まで伝わってくる。

 エマの次が、未歩那だった。

 未歩那は衣装を変え、メイクも終えて、ステージ中央へ上がるための奈落に待機する。音羽はそんな未歩那の様子をすこし離れて見守っていた。

 未歩那は両手でしっかりマイクを持ち、ぎゅっと胸の前で固定している。奈落のなかはしゃがんで待つようにと言われているから、その姿はまるでなにかを祈るようだった。

「おーい、髪飾りどうなったー?」と龍也が戻ってくる。「エマ、髪飾りなして出ていったのか?」

「ちゃんとあったんです」と音羽。「エマがしまった場所を忘れてたみたいで」

 どこにしまっていたとは言わない音羽だった。

「そっか、そりゃよかった──次は未歩那だな」

 龍也の声に未歩那はちらりと振り返った。龍也と音羽は、揃ってうなずく。未歩那も笑顔でこくりとうなずいた。

「リフトB、動かします!」スタッフの声が飛んだ。「担当スタッフ以外は離れてください! リフトB動かします! 担当スタッフ以外は離れてください!」

 油圧式のリフトがゆっくりと上昇していく。まだエマの曲は終わっていなかったが、このリフトは高速で上昇することができなかったから、観客の目がエマに向いているうちにこっそり上昇し、エマの曲が終わると同時に中央ステージに現れているという演出だった。

 未歩那がリフトといっしょにゆっくりとステージへ出ていく。音羽はそれを見送ったあと、ステージ裏のあちこちに設置されている確認用のモニタを見た。

 モニタの映像は会場の巨大モニタに流れているのと同じものだ。いまはエマが映っている。きれいな金髪を揺らし、元気いっぱいの、見ているだけで笑顔になれるようなエマのパフォーマンス。ひまわりの髪飾りもよく似合っていた。

 そのラスト、エマはカメラに向かって大きくピース。曲が終わると同時にエマを照らしていた照明が落ち、ぴったり一秒後、ステージの中央にスポットライトが向いた。

 モニタに未歩那が映る。その瞬間、また大きな歓声──全員曲ですでにステージには立っていたが、未歩那ひとりがフィーチャーされるという意味では、これが三年ぶりの未歩那のステージといってよかった。

 未歩那のソロ曲は、元々は龍也が未歩那に向けて作った曲が基になっていた。

 そのときにはまだタイトルもなかったが、いまは「きみのうた」というタイトルがつけられていた。

 曲自体、未歩那が怪我をしてグループ活動を休止してから作られたものだった。当然、ファンにとってはこの瞬間がはじめて聞くことになるわけで、そのためいままでの曲とは盛り上がりがちがう。

 ステージ裏にいると、聞こえてくるのは未歩那の歌声だけだった。歓声やかけ声のようなものは一切ない──そうしたテンポの速い曲ではないという理由もあるが、なにより八万人のファンはみんな未歩那の声に耳を澄まし、はじめて聞く曲をしっかり感じようとしているのだ。

 未歩那は大きなステージの上に、堂々とひとりで立っていた。

 マイクを握り、歌声を響かせ、しなやかに踊る。

 とても三年のブランクがあるとは思えないような、アイドルとしてこれ以上ないほど立派なパフォーマンス──その指先から世界観が作られ、この大きな会場全体が未歩那が作り出す雰囲気に包み込まれる。

 音羽は、この瞬間、未歩那は完全に復活したのだと感じた。

 いままでもレッスンで見てきたし、全体曲でステージにも立ったが、ひとりでステージに立っている未歩那はその何倍も美しく、存在感がある──未歩那はこの瞬間のために長くつらいリハビリをがんばってきたのだし、そうした努力がすべて、いまこのときに報われたのだ。

 音羽の隣には龍也がいた。

 龍也もまたモニタを見つめ、ぽつりと呟く。

「やばいな、おれも年だ──泣けて、仕方ない」


     2

 ステージに立った未歩那は、パフォーマンスをしながらも、ふしぎなくらい冷静に客席を見回していた。

 九人で全体曲を唄っていたときにも眺めた、この景色──しかしいまは感じ方がまったくちがう。

 八万人の観客は、みんな自分を見ているのだ。ひとり残らず。

 この広いステージには自分しかいない。あの大きなスピーカーからは自分の声しか流れていない。八万人が自分を見て、聞いている。

 心臓はどきどきと脈打っていた。声が震えていないのがふしぎなくらい、身体が緊張しているのがわかる。それでも唄も振り付けもレッスンどおり、ミスなくできていた。

 足が震えて立っていられなくなるくらいの緊張と、客席を眺めてひとりひとりの顔をしっかり見られるくらいの余裕──きっといま自分はいいパフォーマンスができているのだと未歩那は思う。

 この三年間、一度も人前でパフォーマンスができなかった。

 三年──ステージに立ち、唄って踊るというのがどういうことなのか、忘れてしまいそうなくらい長い時間だった。

 それでも戻ってきたのだ。この場所に。みんなの──応援してくれるファンと、支えてくれるスタッフと、待っていてくれたメンバーのおかげで。

 snowdropsは九人組のアイドルなのだ。でもそのうち八人は、この三年でたくさんの経験を積んでいる。自分だけがデビュー一年目の新人のようなもので、片手で数えられるくらいのステージしかこなしていない。そんな状況で八万人の前に立っているのだから、これは奇跡以外のなにものでもなかった。

 未歩那はただただ、この瞬間を楽しむ。

 三年間、やりたくてもできなかったことを、たっぷりやり尽くす。

 唄い、踊り、ファンと目線を合わせ、感謝を伝え、楽しませる──アイドルって、なんて幸せな職業なんだろう、と未歩那は感じた。

 こんなに幸せな仕事は、きっとほかにはない。幼い頃アイドルに憧れた自分の感性は間違っていなかったのだ。

 未歩那のソロ曲「きみのとなり」は、三分あまりの短い曲だった。

 ステージに立ち、唄い踊って、あっという間にその三分間は過ぎ去ってしまう──三年間待ち望んでいた三分、だ。

 未歩那は満足だった。

 一曲のパフォーマンスをやり終え、音が鳴り止むと同時に客席に向かって一礼をする。それから一瞬、どこからステージをはけるのか忘れて戸惑ったあと、ぺろりと舌を出して巨大モニタの横の階段を下りた。

 未歩那のあとを告ぐのは碧だった。階段を下りながら未歩那はその声を聞いていた――なんとなく涙を堪えるような、すこし詰まった碧の声を。

 ステージの裏には音羽が待っていた。未歩那は音羽に駆け寄り、その勢いのまま抱きつく。

「お疲れ、未歩那!」

「うん、お疲れ──よかった、ちゃんとできて」

「すごくよかったよ。唄もダンスも、やっぱり未歩那には敵わないな──」

「そんなことないよ。音羽だってこの三年ですごくうまくなって──音羽だけじゃなくてメンバーみんな、ほんとに上手になってた。ついていくのに必死だもん。でも、ちゃんと振り落とされないようについていくからね──ところで、なんで伊崎さんはずっと後ろ向いてるの?」

「泣いてるのを見られたくないんだって」

「そう言われると見たくなるのが人間というものでして……」

「や、やめろ、回り込んでくるな! おれの顔を見たら石になるぞ!」

 未歩那はけらけらと笑いながら龍也の背中に抱きつき、ステージの音に隠れるようにそっと呟いた。

「ありがと、伊崎さん。伊崎さんの歌、ちゃんと唄ってきたよ」

「──ああ、そうだな。こっちこそ、ありがとう」

「なんで伊崎さんがお礼言うの?」

「大人にはいろいろあるんだよ。おまえももっと年を取ればわかる。大人っていうのは、どうも、こういうのはダメなんだ」

 未歩那はしばらく笑ったあと、モニタを見た。

 碧のソロ曲は、ソロ曲のなかでは唯一のバラードだった。

 碧はずっとこのソロ曲に苦戦していたのだ──壮大な曲の展開に自分のパフォーマンスがついていかない、と。ツアーの序盤、碧はずっとそう悩んでいたが、そんな心配はいらないのにと未歩那はモニタを見ながら思う。

 碧は泣いていた。泣きながら、しっかりと唄っていた。声が途切れないように。

 白い頬を透明な涙が伝い、それをようやく暮れはじめた夕焼けが照らしている──その横顔の、なんて美しいことだろう。

 碧はたしか上手側からステージを下りるはずだ。未歩那は薄暗くなってきたステージ裏を走り、碧が戻ってくる場所で待機する。音羽は、この次のセクションである「ユニット曲セクション」で出番があったから、自分の持ち場に着いていた。

 ステージ裏でも伸びやかな碧のロングトーンが聞こえる。サビの最後、どこまでも抜けていくような、それでいてきんと響かない、包み込むような声質。

 元々は唄に自信がなかった碧も、この三年、そして一年間のツアーを通し、自分のパフォーマンスというものをしっかり掴んでいた。間違いなく今日の碧はツアーのなかでいちばんのパフォーマンスができていたし、それはほかのメンバーにしてもそうなのだ──メンバーがみんながばっている理由が自分だということまでは、未歩那は気づかなかった。ただ未歩那も負けないようにと思う。みんなの足を引っ張らないように、そして自分自身が楽しめるように。

 曲が終わり、地震のような拍手。碧が舞台裏に戻ってくる。

「碧、お疲れ!」

 碧は未歩那に気づくと、顔をくしゃりと歪め、またうえーんと子どものように泣き出す。

「よかった、未歩那ちゃん──ほんとに、よかった」

「なんで泣くの? あたし、ずっと元気だったよ。レッスンだっていっしょにしたし、全体曲はいっしょに唄ったじゃん」

「そ、それはそうだけど──でもやっぱり、ひとりでパフォーマンスしてるのを見てたら、ああほんとに未歩那ちゃんが戻ってきたんだって──曲の最初のほう、泣いちゃったもん」

「最初だけじゃなくてずっと泣いてたよ。いまも泣いてるし」

「泣かせたのは未歩那ちゃんでしょー!」

「あはは、そっか──さっきね、伊崎さんも泣いてたって」

「ほんと? 顔見に行こっと」

 考えることはみんな同じだ。だから同じグループのメンバーとしてやっていけるのかもしれない。

 ふたりでステージ正面の裏側へ戻ってくる。気配を察知したのか、龍也はもうどこかへ逃げたあとだった。単純に仕事があるのかもしれないが。

 いまステージ上には音羽、万優、エマの三人がいた。

 いわゆる年少組の三人で、次は中間である光姫、純麗、そして未歩那。最後に碧、猫々子、アリスの年長組の出番となる。

 未歩那は衣装を着替え、スタンバイに向かった。ユニット曲が終われば、次はまたソロセクションに戻る。そして最後に全員で五曲、休みなくやって、一度だけMCをはさみ、最後の一曲ということになっていた。

 この公演にアンコールがないことはすでにアナウンスされていた。純粋にライブを楽しみ、帰ってもらおうという趣向だったが、個人的な話ができるのはたった一度のMCだけだ。

 もうライブは半分ほど終わっている。ついさっきライブがはじまったばかりだと思っていたのに。あと半分も、きっとすぐに終わってしまうのだろう。

 もうやり残したことはないだろうか? もう後悔はないか?

 ──もちろん、まだまだやりたいないし、このまま終わったら後悔する。最後の最後まで楽しみ尽くさなければ、三年間も待ち続けた欲求不満は解消されない。

 未歩那は、自分の足をぽんと叩いた。

「いままで待たせてごめん──いっしょにステージを楽しもうね。三年間、待ってたんだから」


     *


 ライブの本番中、プロデューサーの鬼原篤子はずっとステージの裏にいた。

 ほかのスタッフから離れた、しずかなモニタの前。そこでじっと、ステージの様子を見ていたのだ。

 ──ここが、目標だった場所だ。

 篤子はその光景をしっかり目に焼きつける。

 ちょうど夕陽が沈む、いい時間だった。燃えるような赤い光は寂寞を孕みながら巨大な会場を照らしている。八万人の観客。大きなステージ。そこで存分にパフォーマンスをするアイドルたち。

 これこそ、篤子がこの数年間、求め続けていたものだ。

 すべてはこの瞬間のための準備であり、どんな苦労も喜びも、この瞬間にすべて報われる──ここはそういう場所なのだ。

 きっとファンにとっても同じだろうと、篤子は思う。

 ファンもまた、この場所に憧れ、この場所にくるために今日まで現実を生き延びてきたのだ。どんなにつらいことがあっても、どんなに悲しいことがあっても、心が折れそうでも、今日このステージを見るために、いままで必死に生き延びてきたのだ。その苦労がすべて報われる場所──この数時間だけはどんな苦しみも悲しみも忘れ、ただがむしゃらに楽しめる。

 篤子は、ライブはそういう場所であってほしいと思っていた。自分自身がそうしてライブや音楽に救われたように、この場所がだれかにとっての救いでありますようにと祈った。だからこそ、大きな会場でのライブを成功させたかったのだ──この最高の瞬間をひとりでも多くのひとたちと共有したくて。

「鬼原さん」

 声に振り返る。スーツを着た女性がぺこりと頭を下げていた。篤子は薄暗くなりはじめたステージ裏で目をこらし、うなずく。

「忙しいのにきてくれたのね。ありがとう」

「スノウドロップスの偵察のつもりできたんです」

 snowdropsのライバル、CaRaTのプロデューサーである大崎理美は、いつものように表情を変えずに言った。

「でも、正直、こなければよかったと思います──こんなライブを見せつけられたら、私たちもこれまで以上にやらないと。のんきに他人のライブを見ている場合じゃありませんから、途中ですが、帰ります」

「そう──せっかくだから最後まで見ていけばいいのに。最後まで楽しませるわよ」

「わかっています。私は、楽しむのは嫌いなんです。楽しませないと」

「なるほど。相変わらず負けず嫌いね」

「あなたに教わったことですから」

 理美はもう一度頭を下げ、踵を返した。篤子はその背中を見送ったあと、再びモニタに目をやる。

 最初のソロセクションが終わって、いまはユニット曲のセクションになっている。それが終わると次は再びソロセクションがあり、全体曲があって、終わり。

 ライブも半分を過ぎ、それでもまだ会場の盛り上がりは変わっていない。終盤までこの盛り上がりを維持して、そのまま駆け抜けるようにしてライブが終わっていくのが理想だ──それこそ、snowdropsの活動のように。

 篤子は、アイドルというのはやはり打ち上げ花火のようなものなのだと思う。

 ぱっと打ち上げられ、大きく花開き、美しい余韻を残しながら消えていく──そこにアイドルの美学がある。

 たとえばこれがアーティストなら、そんな美学は持つ必要もない。アーティストというのは要するに、生きる手段として自己表現をしているのだ。そうせざるを得ない、というのがアーティストであり、極論、アーティストに観客は必要ない。だれひとり聞く人間がいなくても、自分の悲しみや喜びを表現していくしか彼らに生きる術はないのだ。だからどれだけ落ちぶれても、あるいは売れ続けていても、アーティスト活動に終わりはない。

 アイドルは、そうではない。

 アイドルは自分の人生の、ある側面だけを客に見せることでエンターテイメントにしている。だからこそ、明確にはじまりと終わりと作るべきなのだ。映画や舞台と同じだ──幕が上がったら、どこかで幕を下ろさなければならない。

 snowdropsの幕は、今日下りる。

 今日、snowdropsは終わるのだ。


     3

 いい緊張感だと音羽はステージ裏で待機しながら思う。

 ユニット曲が終わり、いまライブはふたつ目のソロセクションに入っていた。いまはアリスがステージに出ていて、次が音羽のソロ。そしてそこから全員曲が五曲続くから、実質、音羽は六曲連続パフォーマンスをすることになる。

 ライブも終盤になり、体力的にもいちばん厳しいところだった。しかし気分は悪くない。リラックスする部分と緊張する部分がうまく同居していて、まわりもしっかり見えているし、集中すべきところでは集中もできている。

 きっと今日は、いままででいちばん出来のいいライブになっているにちがいない。音羽はそれを確信し、嬉しくなる。今日という日に最高のライブができたこと──それ自体が、いままで努力してきた成果なのだ。

 アリスの曲が終わり、歓声と拍手。すぐに音羽の曲がはじまる。音羽は上手側の奈落からステージへと出た。

 眩しいスポットライトに照らされる。

 太陽の光は、もうすっかり落ちていた。

 客席は暗い。ステージだけが無数の照明によって照らし出され、そのなかでも音羽にはひときわ強い光が当てられていた。

 音羽のソロ曲は「オリオン」というスローな曲。バラードというほどではないが、揺りかごに乗っているようなリズム感の曲で、音羽はそのリズムを外さないようにしながら唄い出した。

 頭上の空は暗いが、西の空はわずかに明るい。そして客席は暗く、そこに無数のペンライトが輝いている。

 リズムに合わせてペンライトが揺れていた。左右にゆっくりと、波が押しては引いていくように──その美しい光景に、音羽は改めて自分がここに立っていることの喜びを感じた。

 ──昨日、ホテルの部屋にsnowdropsのメンバーだけで集まり話し合ったことを、音羽は思い出す。

「わたしは、明日のライブをちゃんとやり切りたいんだ」

 音羽はほかの八人に向かい、はっきりと言った。

「もしスノウドロップスとしての活動が最後になっても、続いていくとしても、明日は一生のうちで一回しかないんだよ。また同じ規模のライブができるかもしれないけど、でも、明日のライブは明日にしかない。いろんなこと考えてライブで失敗しちゃうよりは、どうなってもいいから明日のライブをやり切りたい。いつか振り返ったときに、後悔しないように」

「……あたしも、そう思う」同意したのは未歩那だった。「あたしは明日のライブが復帰戦だから、やっぱり、ライブ以外のことをあれこれ考えるよりはライブに集中したいな」

「ま、そうかもな」

 純麗は枕を抱きしめたまま、ベッドに倒れ込んだ。

「グループでの活動が最後だとしても、続けられるにしても、明日は明日だもんな。オレもいいライブにしたいと思うし」

「うん、そうね──とにかくいまは、明日のことに集中ね」碧はうなずく。「それにわたしは──なんとなく、スノウドロップスの未来は明るいような気がするの」

「わ、それ占い?」とエマ。「どんな未来なの?」

「はっきりとはわからないけど──グループがどんな形になっても、きっとわたしたちはしっかり笑ってるんじゃないかしら。だって、グループとしての活動が終わっても、そこでばいばいってわけじゃないでしょ? 全員が全員、芸能活動を続けるわけじゃないかもしれないけど、友だちであることには変わりないし。会いたいときはいつでも集まって、楽しく笑い合ったりできるんじゃないかしら」

「うん──わたし、みんなのこと、好き」と万優。「はじめてできた友だちだから……みんなとは、ずっといっしょにいたいと思う」

「だ、だからこそ、明日のライブはしっかりしないと……」とアリス。「は、八万人のひとに見られるんだから──はうう──」

「猫々子はどう思う?」と未歩那。

「あたしはー……」

 猫々子はふわあとあくびを洩らして、続けた。

「もう眠たいけど……明日はがんばるよ。寝ないように」

 猫々子にとってはそれが最大の努力らしい。

 ともかく、そうしてメンバーの意志が統一できたのはよかった──おかげでライブは、緊張感をもって臨めている。

 もしこれが最後のステージなら──音羽は唄いながら思う。

 もしこれが最後のステージなら、なおさら、楽しまなければ損だ。

 snowdropsとしてデビューして三年、事務所に入ってからは四年、毎日のようにレッスンをしてきたのは、こうしてステージ上で楽しむためだったのだから。

 ステージの上手側から現れた音羽はステージ中央へ移動し、そこでパフォーマンスを行う。

 そしてソロ曲が終わってもステージからは下りない。そのまま全体曲のイントロがはじまると、メンバー全員がステージのいろんなところから現れ、九人揃ってのパフォーマンスに移行する。

 ここから五曲、休みなしだ。音羽はしかし不安は感じていなかった。四年前なら一曲やっただけでも疲れ果てていただろうが、いまは体力もついて、これくらいなら大丈夫だ。ステージの上で、最後まで笑顔でいられる。

 全体曲の一曲目は明るくアップテンポの「カナリアの海辺」。飛び跳ねるような振り付けが多く、メンバーにとってはなかなか大変なのだが、客席から上がるかけ声や合いの手のおかげで楽しくパフォーマンスができた。

 次の「sign」は、全体曲としては唯一のバラードだった。

 本来ならバレエをモチーフにしたようなしなやかなダンスがあるのだが、今回のライブでは振り付けは腕だけにして、全員でステージを下り、客席のあいだを歩きながら唄う。そうして各々が四つのグループに分かれて中央ステージまで移動し、そこに到着したところで次の曲。

 中央ステージで披露するのは「ring」。文字どおり円形のステージでメンバーも円形に広がり、三六〇度広がっている客席を見ながらパフォーマンスしていく。

 もう一曲、そのまま中央ステージで「箱庭の青い鳥」を唄い、「小人のワルツ」を唄いながらメインステージへと戻ってきた。

 そこではじめて、音が途切れ、会場が静かになる。

 いままで休む暇もなくパフォーマンスが続いていたが、ここでようやくMCが入るのだ。

 曲が鳴り止み、観客のざわめきがはっきりと聞こえるようになる。音羽はイヤーモニターを外し、より会場の声が聞こえるようにしてから、ぎゅっとマイクを握りしめた。

 段取りでは、ステージ下手側から順番に挨拶をしていくことになっていた。

 いちばん下手、つまり最初に挨拶をするのは、未歩那だ。

 九人は一列に並び、それぞれ客席を見ている。未歩那も自分が最初にしゃべり出すということはわかっていながら、まるで言葉を失ったようにじっと客席を見渡していた。

 すると、客席から自然と歓声が上がる。波紋のように歓声が客席全体に広がっていくのを眺めたあと、未歩那はゆっくりマイクを口元に近づけた。

 明るく、ただいま、と言うつもりだった──しかしいざその瞬間になると、胸にこみ上げるものが大きくて言葉にならない。

 未歩那は何度か深呼吸をしたあと、改めてマイクに向かい、言った。

「みんな、お待たせ──ただいま!」

 今日いちばん大きな歓声が上がる。未歩那はすこしくすぐったそうに笑った。

「ほんと、長くかかっちゃった──三年間、ずっと待っててくれてありがとう。メンバーのみんなも、あたしが休んであるあいだにスノウドロップスを大きくしてくれてありがとう──みんなのおかげで、今日、ここに帰ってこられて本当に嬉しいよ。それでね、ええっと……話そうと思ってたこと、いっぱいあるんだ。足を怪我してから、いろんなことを考えて……みんなに迷惑かけちゃうからグループを辞めようと思ったこともあったし、もう唄ったり踊ったりできないんだって思ったこともあったし──つらいこと、たくさんあったけど、でもね、今日こうやって戻ってこられたら、そんなこと全部忘れちゃった。いますごく楽しくて、幸せで、だからつらいことなんてステージに立ったら忘れちゃうんだなって──」

 未歩那は一呼吸置いて、続ける。

「もう一回だけ言わせて。ここにいるみんな──ファンも、メンバーも、スタッフさんも、ほんとに、みんなありがとう」

 未歩那は深々と頭を下げ、バトンを次に渡した。

 そうしてひとりずつ、マイクを通して自分の気持ちを言葉にしていく。音羽はいちばん上手側、挨拶の順番では最後だったから、マイクを握りしめたまま、その声を聞いていた。

 普段、ライブのMCでもそうだが、なにを喋るのか事前に考えることはあまりなかった。そのとき喋りたいこと、感じていることをそのまま喋るようにしていたから、今日も自分の番が回ってくる瞬間までなにを喋るべきかは考えていなかった。

 ただ、隣にいた万優が挨拶を終え、音羽の順番になった瞬間、音羽は自分がなにを言うべきか理解できたような気がした。

「──わたし、元々アイドルになりたいなんて、思ってなかったんです」

 音羽は静かに言った。

 ライトが音羽を正面から照らしている。八万人の客は、音羽の声に耳を澄ませていた。

「幼なじみの未歩那がオーディションを受けるっていうから、わたしはその付き添いのつもりで事務所にきて──それがなんだかふしぎな偶然で、わたしもアイドルになることになって。最初はアイドルなんて無理だって思ってたんです。唄も踊りも下手だし。でも未歩那といっしょだったから、未歩那が引っ張ってくれてたから、いっしょにがんばれて……未歩那が怪我をするまで、わたしはずっと未歩那に引っ張ってもらってたんです。

 でも未歩那が怪我をして、そのときはじめて、変わろうって思って──。

 いままで、わたしには無理だからって諦めてたことを、全力でやってみようと思ったんです。未歩那ができない分まで、わたしがやろうって。アイドルとしてできることは全部やってみよう、全部限界まで努力してみようって思いはじめてから、アイドル活動がすごく楽しくなって、なんだかようやくアイドルになれた気がして。

 でも──なんだか不思議ですよね。きっと町にいたら、わたしなんてふつうだと思うんです。どこにでもいる、ふつうの女の子なんだって。特別美人でもないし、なにか特技があるわけでもないし、目立つわけでもないし。それでも、いまこうやってステージに立っていて……ほんと、夢を見てるような気がします。ずっとずっと、長い夢を」

 だけど、と音羽は言った。

 静まり返った会場に、音羽の声だけが響く。

「だけど、夢は、いつか終わります。スノウドロップスも──今日のこのライブが、スノウドロップスにとって最後のライブになると思います」

 耳が痛むような静寂。そのあとでざわめきが波のように広がっていく。やがてそのざわめきは大きな声の塊となりステージに戻ってきた。

 悲鳴にも似た声。音羽はそれをまっすぐに受け止めながら続けた。

「でも、だからこそ、今日のことを忘れないでほしいんです。夢は醒めてしまうかもしれないけど、新しい夢を見るために──今日、この場所に自分がいたことを、みんながいたことを、いつまでも忘れないでいてほしいんです。わたしもずっと覚えています。何年経っても――楽しい記憶として、笑顔の記憶として、この日のことをずっと忘れません。

 今日は本当にありがとうございました。最後の最後まで、楽しんでくださいね。今日という一日が終わるまで」

 そして、最後の曲──snowdropsにとって最後となる曲「笑顔の記憶」が流れはじめた。


     *


 これでよかったのだと、伊崎龍也はステージ裏で感じていた。

 音羽がステージ上でああした発言をすることは考えていなかったが、しかし音羽が言うべきだと思ったのなら、それが正解なのだ。これは彼女たちのステージで、彼女たちこそsnowdropsなのだから。

 ライブの最後を飾る曲、「笑顔の記憶」は、龍也が全体曲としてははじめて作った曲だった。今回はそのアレンジもライブ用に変更していて、最後のサビが終わったあと唄はサビのメロディを「ららら──」と繰り返し、楽器が徐々にフェードアウトしていくなか、最後まで唄が残るという演出になっている。これは龍也の提案ではなく、篤子がそうしたいと、珍しく曲のアレンジに口を出したのだ。

 基本的に「笑顔の記憶」は、いまを笑顔にしたいという曲をだった。だから、泣きながら唄うより、笑いながら唄うほうがいい。メンバーたちもそれは充分に理解していて、九人は笑いながらステージ上のあちこちを移動し、ファンに手を振り、互いに抱き合い、この瞬間にステージに立っている喜びを全身で表現しながら唄っていた。

 ステージ裏でその様子を見ている龍也も、堪らない幸福感を覚える──この瞬間が永遠に続けばいいのに、と思うような、幸せな時間。

「──ほんとにいいステージになりましたね」

 ふと気づくと、衣装関係の仕事でステージ裏を走り回っていた桜子が隣に立っていた。桜子も泣いてはいない。笑顔で、snowdropsの最後のステージを見守っている。

 楽器が徐々にフェードアウトし、最後には九人の声だけが残る。

 九人は顔を見合わせ、メロディを最後まで歌い上げた。割れんばかりの拍手と歓声。九人は一列になり、手をつなぎ、揃って客席に頭を下げて、ステージを下りてくる。

 龍也と桜子、そしてほかのスタッフも、ステージ裏にずらりと並んだ。拍手で下りてきたメンバーたちを出迎える。

「お疲れ──ほんとに、いいステージだったよ」

 龍也はひとりひとりに声をかけた。九人はみんな満足そうな顔でうなずき、スタッフとハイタッチを交わして楽屋へ引き上げていく。それに合わせてスタッフも終演の準備をはじめたが、龍也はその場に残り、しばらく客席の歓声を聞いていた。

 客席からの拍手は鳴り止まない。アンコールは行わないと通知してあっても、きっとsnowdropsを送り出すためなのだろう、いつまでも拍手が続いていた。

 きっと、と龍也は思う──その拍手が続くかぎり、ライブは終わらないという感覚があるのだろう。この楽しい瞬間を終わらせたくない、すこしでも長く余韻を感じていたいと思う心が、そうさせているのだ。

 その気持ちは龍也によくわかった。龍也も、できれば終わってほしくないと思う。同時に、そうやって惜しまれながら終わることができるのは幸せだとも感じた。

 こうして、snowdropsの最後のライブは閉幕した。

 ライブ終了後、改めて公式のアナウンスとしてsnowdropsの活動終了が発表された。

 実働期間三年、発売したCDはシングル、アルバム含めて全八枚、うちセールストップを取ったのは六枚。

 それがsnowdropsの、記録として残る軌跡だった。


     4

 ぱちぱちぱち、とキーボードを打つ音が部屋のなかに響いている。

 古儀桜子はパソコンに向かい、無駄口も叩かず入力を続けていたが、ふと息抜きをするように視線をディスプレイから離す――そして机の隅に飾られている写真立てを見た。

 写真には、九人の少女。二列に並んだ集合写真。

「──あれから、もう一年か」

 長いような、短いような。

 この一年でなにが変わっただろう、と桜子は思い、いろいろ変わったこともあるし、なにも変わっていないこともあるなと考える。

 たとえば、事務所の様子は相変わらずだ。決して広くはない、プロダクション亀山の事務所。そこでぽちぽちと事務をしている自分もさほど変わったとは思えない。まあ、一年分老けたのは間違いない。時間の流れとは恐ろしいものだ。

 桜子はうーんと背もたれに身体を預け、伸びをする。立ち上がり、部屋の隅にあるコーヒーメーカーでコーヒーを作っていると、ふと、社長である鬼原篤子のデスクにスポーツ新聞が置いてあるのに気づいた。

 まるでこのページを見ろ、というように開いて置いてあるスポーツ新聞だったが、仕事に夢中でまったく目に入っていなかった。きっと篤子からすればおもしろくない展開だっただろう。そういえばさっき仕事に行くとき、なんだか拗ねたような顔だったような気もする。

 コーヒーを飲みながら開いてあるページに視線を落とした桜子は、ふうむとうなずいた。

「ドーム公演か、すごいなあ……」

 記事の書き出しはこうだった──『去年の十一月に活動再開を発表した人気バンド、スノウマンズが二日間に及ぶドーム公演を成功させた』。

 ドームともなれば準備も大変だっただろうな、と桜子はついスタッフ目線で考え、うんうんとひとりでうなずいたあと、席に戻って仕事を再開する。

 それからしばらくして事務所の扉が開いた。篤子が帰ってきたのかと思ったが、ちがう。

「ただいま戻りましたー」

「お帰りなさい、円佳ちゃん。どうでしたか?」

「仕事はばっちりです。ただ、疲れました……まさか秘湯探しに四時間も山のなかを歩くロケだとは……」

「お疲れさまです。コーヒー、飲みますか?」

「いただきますぅ……」

 円佳は席にどかりと座ると、そのままべちゃりと突っ伏す。桜子は苦笑いしながら甘めのコーヒーを淹れ、テーブルに置いた。円佳は身体を起こし、両手でカップを包み込みながら、篤子のデスクに広げてある新聞に気づく。

「わ、これ、伊崎センパイですか?」

「そうみたいです。大変そうですよ」

「ほんと……ドーム公演ですか。すごいなー。準備、大変なんだろうなー……」

 考えることは同じだ。円佳はずずとコーヒーを啜る。

「そういえば聞きましたか、桜子さん。CaRaTが五大ドームツアーで、それぞれスリーデイズやるって」

「ネットニュースで見ました」

「すごいですよね、ほんとに。みんながんばってるんだなあ……」

 そう、みんながんばっているのだ。

 みんな選んだ道はそれぞれちがうかもしれないが、みんながんばって生きている。

 生きるということは、夢を見るということだ。

 まだ夢は続いている──この先もきっと、終わることはないだろう。

 桜子はちらりとホワイトボードを見た。九人分のタレントの予定がずらりと書き込まれている。すき間はほとんどないが、来週──ちょうどクリスマスの日だけ、全員同じ予定になっていた。

 年に一度のパーティーだ。それを心置きなく楽しむためには、いまのうちにしっかり仕事をしておかねばならない。

 桜子はひとりでうんとうなずき、またキーボードに手を置いた──視界の隅に、写真立てのなかで笑っている九人を捉えながら。


     /終わり
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藤崎悠貴
Posted by藤崎悠貴

Comments 7

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No title

年明けから1ヶ月半、毎日12時に更新が来てるかな、来てないかな、と楽しみに過ごさせていただきました。
それぞれが異なる魅力を持ったキャラクターと心を揺り動かされるストーリー、本当に素敵でした。
ありがとうございました。

2019/02/13 (Wed) 18:46 | EDIT | REPLY |   
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完結お疲れさまでした。ストーリーが良く、楽しく読ませていただけました。欲を言えばもう少し番外編とかでもキャラを掘り下げて頂けたらなと思います。

最後に気になったところが、未歩那のソロ曲が「きみのうた」と「きみのとなり」の二つ出てきます。どちらが正しいでしょうか?

2019/02/13 (Wed) 23:09 | EDIT | REPLY |   
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管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2019/02/14 (Thu) 03:00 | EDIT | REPLY |   
藤崎悠貴
藤崎悠貴  
Re: No title

> 年明けから1ヶ月半、毎日12時に更新が来てるかな、来てないかな、と楽しみに過ごさせていただきました。
> それぞれが異なる魅力を持ったキャラクターと心を揺り動かされるストーリー、本当に素敵でした。
> ありがとうございました。

コメントありがとうございます。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。なんとか終わりました。
また機会がありましたらぜひご一読のほど、よろしくお願いします。

2019/02/16 (Sat) 09:19 | EDIT | REPLY |   
藤崎悠貴
藤崎悠貴  
Re: タイトルなし

> 完結お疲れさまでした。ストーリーが良く、楽しく読ませていただけました。欲を言えばもう少し番外編とかでもキャラを掘り下げて頂けたらなと思います。
>
> 最後に気になったところが、未歩那のソロ曲が「きみのうた」と「きみのとなり」の二つ出てきます。どちらが正しいでしょうか?

コメントありがとうございます。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。

はあああやっぱり曲名をミスっておりましたか……。
途中で曲名を変えまして、どこかでミスってるんじゃないかと思ってはいたのですが、自分では発見できず……。
たぶんあれです、「きみのうた」と書いて「きみのとなり」と読む的な。
あるいは「きみのとなり」と書いて「きみのうた」と読む的な。
すんません、時間ができたらどっちかに統一しておきます。

2019/02/16 (Sat) 09:21 | EDIT | REPLY |   
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完結お疲れ様です。
アイドル達に手を出す男の話なのに、なぜか下衆さは感じず、背徳感と爽快感のある素晴らしい作品でした。
たくさんのヒロインが出てくるのに全員魅力的なのも良かったです(甲乙つけがたいですが未歩那がお気に入りです笑)。
ただ一点だけ、桜子さんのHカップを触る機会が一切無かったのが残念でした……個人的には挟んで絞り取ったりとかして欲しかったです笑

2019/03/02 (Sat) 08:33 | EDIT | REPLY |   
藤崎悠貴
藤崎悠貴  
Re: タイトルなし

> 完結お疲れ様です。
> アイドル達に手を出す男の話なのに、なぜか下衆さは感じず、背徳感と爽快感のある素晴らしい作品でした。
> たくさんのヒロインが出てくるのに全員魅力的なのも良かったです(甲乙つけがたいですが未歩那がお気に入りです笑)。
> ただ一点だけ、桜子さんのHカップを触る機会が一切無かったのが残念でした……個人的には挟んで絞り取ったりとかして欲しかったです笑

コメントありがとうございます。
いやほんと、桜子さんのHカップは最後までなぜだか聖域でしたね。
個人的にはどっかのタイミングでそういうシーンを挟もうと思ってたんですが、思ったまま最終話まできてしまいました。残念……。

2019/03/02 (Sat) 14:12 | EDIT | REPLY |   

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